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4月28日 杉並区立産業商工会館で行われた「東京市民ネットワーク」の大反省会で、
楠さんが当会の代表として発言されました。 (この文書はその際の原稿を一部修正しています) ******************************************************************** 統一の呼びかけと浅野史郎さん擁立 「東京。をプロデュース2007」 代表 楠 典子 1.やはり首長を替えるしかない 私たちのグループは、都立高校の保護者仲間が中心になってスタートしました。 石原都政のもとで教育現場が思想統制されてゆく危機感を持ち、「学校に自由の風を!」という運動に取り組んでいく中で、次々に起きてくる問題に抗議するだけではとても追いつかない、やはり首長を替えるしかないと考えるに至ったのです。私たちにとっては自然な流れで、必然的なものでした。 2.勝つためには統一が必要 石原氏は前回308万票という圧倒的な票を得て当選していますから、都政を替えたいと思う勢力が、個人も団体も政党も枠を越えて一つにならなけば勝てないと、素人ながら思いました。とにかくみんなで一つにつながって力を合わせていきましょう、という呼びかけを始めたのが2005年の秋でした。 3.統一のための幅広い呼びかけ イベントの開催やリーフレットやチラシの配布などの活動をしながら、また文化人や学者など著名な方々に"呼びかけ人"になっていただきながら、賛同者や会員を増やしていきました。 最終的には、映画監督の森達也さんや是枝裕和さん、ジャン・ユンカーマンさん、フォトジャーナリストの郡山総一郎さん、弁護士の尾山宏さんや女優の竹下景子さんなどを始めとする300人くらいの会になりました。 政党では共産・民主・社民・新社会・生活者ネットなどへ、また労働組合にも50箇所以上に廻って、ご協力をお願いしました。 4.吉田さんの立候補 私たちは「革新都政をつくる会」へも、催しに度々参加したりしながら、積極的に統一候補づくりの提言をしてきました。しかし政党間での統一の動きは生まれず、学者・文化人の方々の動きもないまま時間ばかりが流れる中、2006年10月、吉田万三さんが立候補を表明されました。この時私たちはすぐに革新都政をつくる会に伺いましたが、「このまま黙っていては風が起こらないので、まずは手を挙げることで風を起こそうと考えている、必ずしも自分の立候補にはこだわらない」というのが吉田万三さんのご意思であると伺い、少しほっとしたのでした。 5.11月の大胆シンポジウムでは希望が持てた その後、民主党も独自候補を擁立する方針を発表し、私たちは焦りました。 そこで吉田万三さんをはじめ、民主党・社民党・生活者ネット・新社会党の方々が一堂に会するシンポジウムを企画し、11月26日に開催したのです。 その際、吉田万三さんは「政策が引き継がれるのであれば、候補者バトンタッチも可能」とおっしゃいました。「なんなら自分が走りながら接着剤をやってもいい」とまで言ってくださったのです。主催した私たちは勿論、分裂選挙になることを心配していた参加者の多くが、よい候補者が立てられれば反石原勢力を分散させずにやっていける可能性があると大きな期待を持ったのです。 この時、民主党の代表者は候補者の統一には触れませんでしたが、「決して石原氏に擦り寄ることはない。」と明言しました。都議会民主党はそれまで石原与党でしたから、この発言は大きな展望を与えるものでした。他の政党の方々も、統一候補の擁立に尽力することに積極的な姿勢を示してくださったので、私たちは希望を持ち続けることができたのです。 6.市民が候補者を探すしか道がない しかし、大胆シンポジュウムの発言から、統一が望ましいとしながらも政党自身が統一に向けて他の党と積極的に話し合うという状況ではないことが分かりましたので、私たち自身で統一候補を探そうと思い定めました。賛同者のアンケートや会議での希望を元に候補者の交渉を始めたのは、12月に入ってからでした。 私たち一般市民感覚からすると、とにかく知名度のある人だと考え、ニュースキャスターなど10人以上の方に同時進行でアタックを試みましたが、出馬を快諾してくれる方は見つかりませんでした。 1月末になっても候補者は決まらず、良いお返事を期待していた著名な方からも断られてしまい、私たちは追い詰められる思いで、2月になってもまだ他の方々への打診を重ねていました。 民主党の党内から候補者が出されてしまったら、共産党推薦の吉田万三さんとの分選挙は必至です。2月末の民主党都連大会では候補者をお披露目するとのことでしたので、その前までに、とにかく政党人ではない人に立候補してもらわなくてはなりません。残り時間わずかのこの時点で最も求められる人物は、即決力のある方で、かつ伏魔殿と言われる議会や都庁でもその力を発揮できる実力者でなければならない。となると実績のある知事経験者だと考えたのです。 7.浅野さんとめぐり合う 知事経験者となると挙げられるのは4人くらいです。その中でも、要望が多く反対の声もなかった浅野史郎さんにご連絡したところ、幸運にもすぐに直接お会いすることができました。 事前に手分けして著書を拝読し予習をし予感していましたが、お会いして、浅野さんは本当にとても期待できる方だと実感しました。 面談の際、浅野さんからは、「東京の諸問題を意識してはいても、自分が東京都知事になるという必然性は感じられない。みなさんに期待されるのは光栄だが、正直、今の私の生活は平和で安定している。妻が一番ホッとしているところ。その妻を説得してまで自分が立候補するという心の声が聞こえてこない。」ということでした。 それも当然だと思いましたが、正義感・使命感が強い方だということ、できない理由が百あってもやるべき理由が一つでもあればやるのだ(ご著書より)というのが信条という方ですから、その理由を私たちが浅野さんに納得できるように届けられれば、心を動かしてもらえるに違いない、と確信したのです。 世間にお名前が出て不利益があってはいけないのでお尋ねすると、「別に失うものは何もないから平気。でも、それで引き受けるかどうかは約束できないよ。」とのご返事でした。浅野さんご自身からご了解を得たので、早速、私たちは、会のメンバーへは勿論、広範な人々に呼びかけて、浅野さんにラブメールを送ったり、新しい知事募集の街頭宣伝をしたり、浅野さんの追っかけをして訴えたり、緊急集会を開いてアピールしたり、と浅野さんのハートに火をつけるラブコール運動を、同じ時期に行われた「浅野史郎さんのハートに火をつける会」で合流した方々と共に、更に大きな展開をしていくことができました。 浅野さんとお目にかかった直後、私たちは浅野さんが信頼されている友人の方ともお話することができました。浅野さんは日本の右傾化と憲法「改正」を憂えていらっしゃること、「日の丸・君が代」の"強制"についても反対であること、私たちの会の政策スタンスである「誰もが安心して暮らせる社会、東京を」について、「もう一歩踏み込んで、いちばん弱い立場の人が安心して暮らせる社会をつくることが政治だ」とのお考えであることを知り、感動しました。 また、私たちは統一のことを念頭においていましたので、吉田万三さんが出していた三つの政策方針をお見せしたのですが、「これらは、浅野自身が宮城県政十二年間でやってきたことと一致している」とのご見解でした。 8.浅野さん擁立前の統一への働きかけ 私たちは、浅野さん擁立運動を開始する前に、革新都政をつくる会と民主党に連絡をいたしました。 民主党へは、浅野さん擁立ができそうだから党内候補は出さないで欲しいと申し入れました。 革新都政をつくる会へは、浅野さん擁立を目指す理由や経緯の説明に参りました。「なぜ吉田さんも統一候補の俎上に上がらないのか」とも問われましたが、「政策は素晴らしくても民主党が乗らなければ統一にはならないし、統一しなければ勝てない」とお答えしました。一方、もし浅野さんが立候補したら、早急にバトンタッチできる統一候補かどうか判断いただきたいので、事前に浅野さんを古くから知る人とも会っていただけないかと申し入れました。しかし、革新都政をつくる会からは、出馬を決めてもいないのに会っても意味がないとのご返答でした。私たちはまずは、浅野さん擁立に全力投入することにして、後日、革新都政の会との橋渡しをしっかりするつもりでおりました。 9.統一構想は不発に終わった しかし、その後の展開は予想外のものでした。まず民主党が出馬要請というスクープ記事が流れました。浅野さん本人がその後はっきりと要請を断ったにもかかわらず、マスコミは二大政党論の構図で報道を続けました。 そしてやっと浅野さんのハートに火をつけることができたと喜び、正式な立候補表明を心待ちしていたところに、突然、3月2日の『赤旗』で、浅野さんを「石原と変わらない、政治の中身は自民党より自民党型」と厳しく批判する志位さんの談話が載っのです。 10.政治を諦めるな 石原都政に終止符を打てなかった悔しさは勿論のこと、統一できなかったことで思いもしなかった亀裂がいたる所で生じた辛さ、市民が精一杯頑張ったのに、マスコミと政党の思惑に振り回されてしまったことへの無力感に、一時打ちひしがれました。 しかし今回の結末は、やはり統一しなければ勝てないことや、市民がマスコミや政党も味方にするだけの力と戦略を持たねばならないことを教えてくれているのだと思います。早い時期から余裕をもって準備を進め、相当広範なネットワークを作り、学習会や討議も重ね、学者や文化人の方がたにも協力いただき、戦略や擁立運動も一緒に組み立てることができれば、統一は夢ではないでしょう。 「政治を諦めるな」という浅野さんの言葉は、この結果においてもますます的確なメッセージであると思います。
「東京。をプロデュース2007」 声明
~告示日を迎えて~ 2007年3月22日 私たちは、1年半前から"人と環境と平和を大切にする都知事"の誕生をめざして、今度こそ、都政を変えたい政党や市民グループ等が別々の候補者を擁立する方向にならないよう呼びかけてきた市民です。 昨年の秋、「革新都政をつくる会」から共産党の推薦で吉田万三氏が立候補を表明されたあとも、一つの政党に偏らず、且つ、吉田氏の掲げる政策を受け継ぐスタンスを持った候補者を市民の立場で探すことが、より広範な支持につながると信じて会員・賛同人のアンケート等での要望が高かった方に次々とアプローチしてまいりました。 そして、絶対優勢が伝えられる現職の石原都知事を相手に名乗りをあげてくださる方を探すことは実に困難であることを思い知らされ、絶望的になりかけた2月に入って、私たちは宮城県知事を12年勤め上げた浅野史郎氏と巡り会うことができました。 早くから出馬を表明され、石原都知事の三選阻止というムードの牽引役をしてくださった吉田万三氏や、石原都政のほころびを次々に暴いてくださった共産党都議団の努力が次第に一般のマスコミも動かして石原陣営に翳りが見えてきたタイミングでもありました。 宮城を福祉の先進県に押し上げ、徹底した情報開示という面でも功績が大きかった一方、警察の裏金問題にもメスを入れたことで、ご家族も含め、緊張の連続を強いられる生活から解放されたばかりの浅野氏が、都民の切なる願いを聞き届けて今度は東京都知事の立候補を決意してくださったことに、深く感謝いたします。 擁立するまでに時間がかかってしまいましたが、私たちは、一番生きる力の弱い人たちの立場に立って県政にあたってきた浅野さんの人権意識と環境への配慮、そして何より平和への思いは、まさしく吉田万三氏のスタンスを継ぐに相応しいと確信いたしました。 ところが、一番配慮をしてきたつもりであった「革新都政をつくる会」および「共産党」の浅野史郎氏への評価はとても厳しいものでした。 3月2日の赤旗紙面に出た、志位委員長の会見記事という形の浅野県政に対する酷評には本当に驚きましたが、私たちが直に会って擁立した候補者に責任を持つ意味で、その3日後、仙台へ事実関係の調査に行きました。 そして、現地の共産党をはじめ、県庁の健康保険課などに数々の資料の提出をいただいた結果、やはり浅野氏は信頼に足る人物であり、ご批判へはデータの引用の不十分さや誤解などを指摘していく必要があることを確認いたしました。 それが、科学的社会主義の立場でいらっしゃる共産党の皆さまに対し、私たちとしての誠実な態度であると思います。 3月22日の告示日を迎えましたが、残念ながら"石原都政を変えたい全ての人たちが力を合わせる"という、多くの人々の希望はいまだ実現に至っていません。 しかし私たちは、どの会派からの推薦も受けない市民選挙を志す浅野氏が、私たちの求めてきた一番広い支持を集め得る候補者であることを改めて確認し、その当選に向けては個々に努力をするとともに、石原都政を変えたい方々には引き続き、「どうかご一緒に力を合わせましょう。」と呼びかけていくことを、私たちの姿勢としてここに表明いたします。
吉田万三さんへのお手紙
吉田 万三 様 私たちは、「石原さんはもう、いいんじゃない?」と思っている人や、石原都知事のやり方に傷ついている人たちの思いが、4年に一度の大きなチャンスで、今度こそ別々の候補者で票が割れないよう、1年半前から"統一候補づくり"を呼びかけてきた市民グループ「東京。をプロデュース2007」です。 昨年の11月26日に開催した「統一候補の可能性を探る」というシンポジウムの席上で、万三さん自らが、「自分の掲げる3つの政策スタンスが生かされるならば、自身の立候補にはこだわらない。」と発言してくださったことは、思いを同じくする者たちの票が割れることを心配する多くの市民を大変勇気付けました。 石原都政のほころびを次々と明らかにしてきた共産党都議団とともに、昨年の10月から走り始めてくださっている吉田万三さんの信条と勇気と懐の深さには敬愛の念を抱いております。 ではなぜ、万三さんを統一候補にという選択をしなかったのか? 答えは簡単です。 この都知事選は、これからの日本の行く末のためにも、絶対に勝たなくてはならないからです。 けっして万三さんに不満があるわけではありません。 それどころか、万三さんのような方にぜひ都知事になっていただきたいという気持ちは、特に11・26のシンポジウムで万三さんの魅力に触れる機会を得た「東京。をプロデュース2007」の会員・賛同者の多くが抱いていることだと思います。 公正なメディアの報道によって、万三さんの都政に対する政策の正しさや、足立区長に当選しながら2年数ヶ月で議会から不信任を突きつけられたことの真相がきちんと有権者の隅々まで伝わるような土壌が日本にあるならば、私たちのようなごく普通の保護者がこれほど苦労をしなくてよいのだと思います。 加えて、市民の政党離れが進み、石原都知事さえ自民党の推薦を断っている状況の中、共産党一党だけの推薦という形を取られた万三さんより、全ての会派の推薦を拒否する浅野さんの姿勢のあり方が、より広範な都民の信託を受ける可能生があると信ずるからです。 3月2日の「赤旗」に、浅野さんに関する志位委員長の厳しい見解が載って以来、共産党から次々と浅野前宮城県政に対する批判が繰り広げられております。 その根拠となっているデータの切り取り方は、正直に申しまして、科学的根拠に基き数々の鋭い指摘をされてきた日本共産党の姿勢とは相容れないものだと感じております。 別紙にてご報告いたしましたとおり、ただ今のところ、専門家の手に委ねるまでもない、国民健康保険の資格証明書交付についてのみにとどめておりますが、いずれ真実が明らかにされることと思います。 きのうの公開討論会へも、当会の会員がたくさん参加いたしました。 浅野さんの教育に関するマニュフェストの第一は、日の丸・君が代の強制をさせないということでした。 そして、一番生きる力の弱い障害者という目線に立っているからこそ、平和の大切さを理解し、「もしオリンピックを開催するのであれば、広島、長崎から平和のメッセージを世界に発信するために・・」と発言する浅野さんを、私たちは信じます。 革新都政をつくる会のメンバーや共産党員の方々におかれましても、反石原都知事で協力して勝つことが大切だと思っておいでの方も少なからずいらっしゃると思います。 志を同じくするもの同志が足をひっぱりあい、漁夫の利を与えてしまう愚かさだけは避けたいと思っております。 私たちは吉田万三さんを貶めるようなPRを今までも、そしてこれからも絶対に行ないません。 浅野さんに向かってネガティブキャンペーンが展開されることを危惧し、きれいな選挙をされますよう、心よりお願いいたします。 万三さんへの信頼をこめて 2007年3月16日 東京。をプロデュース2007
浅野県政に対する赤旗記事(3月2日付)
の検証 浅野史郎氏が、赤旗に書かれているような県政を行なってきたならば、東京をプロデュースはとんでもない人物を都知事にしようとしていることになりますから、記事の出た3日後・3月5日に、事務局長と事務局次長で仙台へ赴き、県庁(選挙管理委員会、宮城県保険福祉部国保医療課、健康福祉総務課、資料室など)、共産党、社民党、無所属議員の方などを訪ねて独自に記事に関する調査を行ないました。 特に共産党宮城県委員会には、あの記事のソースとなった資料などの提示を求めて協力していただきました。 現在、浅野県政、特に財政面の検証など、素人の手に余る項目については公正な立場での研究者の方々にその検証を委ねております。 いくつかのマスコミで発表予定です。 以下、専門家の検証を待たずして言えることを報告します。 ※赤旗記事より抜粋 「志位氏は、前県政と比べ浅野県政の福祉切捨てで際立ったものとして、前県政では国保証取り上げがゼロだったが05年には2330世帯になったことを告発。こうした政治は、石原都知事が革新都政時代につくられた福祉の施策を根こそぎ切り捨て、巨大開発に湯水のようにお金を注ぎ込んできたのもの同じ中味だと批判しました。」 【国保証取り上げ】と表現していることの中味→ 【資格証明書交付】を意味する ★国民健康保険証が、医療機関窓口に提示することによって最初から3割の自己負担となるのに対し、資格証明書は、窓口では10割を立て替えなければならないが申告によってあとで7割分が返ってくるシステム。 ★国民健康保険料の1年以上滞納者について保険証の代わりに資格証明証を交付するのは県の業務ではなく、市町村業務である。(国民健康保険法9条) ★制度としては昭和62年(1987年)からあるが、義務化されたのは平成12年(2000年)である。 国保の資格証明書が市町村業務であることについては地方自治体の首長経験のある吉田万三さん、そして志位さんも赤旗記者の方ももちろんご存知であることと思います。 その上で浅野知事の福祉切捨てという書き方になるということに関しては県の助言・指導という役割を指しているのだと推察いたします。 どこの都道府県も似たような助言・指導の内容かもしれませんが、宮城県においては、 ① まず短期(6ヶ月、3ヶ月)の保険証交付に切り替えて更新のときを滞納分の相談に乗るきっかけにする。 ② 資格証明書交付に切り替える際は、高級車が何台も車庫に置かれているなど、滞納世帯の財政状況をよく調査する。 ③ その上で、行政からの再三の働きかけに応じない世帯のみ交付するように指導している。 また、滞納世帯数と資格証交付世帯数および短期保険証交付数との関係を都道府県別で示した一覧表を資料提供していただきました。(平成18年のデータで、宮城の数値は資格証明書交付世帯数が2932世帯と更に増えておりました) 資格証明書交付率=国保取り上げ率(資格証明書交付数を滞納世帯数で割った数値)で見ると、極端に少ないのが、沖縄(0.7%)、長野(0.8%)、愛知(0.9%)そして、石川(2%)、奈良(2%)、山梨(3%)に続いて、宮城(3.1%)と全国的にみても国保の取り上げは少ない方の自治体です。 ちなみに、中間値(24位の県)は7.5%、平均値は8%、一番高い県は19%、東京都は4%で11位でした。 そしてその国保取り上げが、前知事のときはゼロだったと批判していますが、平成5年(1994年)11月~平成17年(2005年)の浅野さんが知事だった期間を見ますと、特に資格証明書が義務化された平成12年(2000年)の前後は以下のようになっております。 (資料提供:東本高志@大分) 【被保険者資格証明書交付世帯数(市町村国保)】 http://hodanren.doc-net.or.jp/news/iryounews/070223kokuho2.pdf 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 青森 0 0 1,981 2,938 3,491 3,787 4,316 岩手 3 29 714 2,058 1,624 1,377 1,288 宮城 0 36 942 1,205 1,879 2,330 2,932 秋田 40 22 887 1,480 1,766 1,757 1,785 山形 19 113 589 863 900 1,01 1,071 福島 424 443 2,046 3,435 4,339 5,283 6,070 義務化される前は、浅野さんが知事であった1994年から2000年までに関してもゼロであり、1994年以前の前知事時代に資格証明書発行がゼロなのは、単に義務化されていなかったからということが言えると思います。 宮城県庁を訪問し、3月2日付けの赤旗をお見せした際に、宮城県保険福祉部国保医療課の職員の方々は信じられない・・・という表情をしておられました。 「こういう書き方をされるのですか・・・」と、絶句に近い反応でしたが、その実直な態度から本当にお金のない世帯を傷つけることのないように精一杯の助言・指導してきたということが感じられました。 現地へいくと、こちらに居ながらにしてネットや資料取り寄せで調査したこと以外にもやはりいろいろわかってくることがあります。 真実を明らかにしていく努力を続けたいと思っております。
“浅野さんと都民が東京を語る会”
日 時: 2007年3月9日 金曜日 18時30分 開場 19時 開演 場 所: なかのZERO大ホール JR・地下鉄東西線「中野駅」南口から徒歩8分 参加費: 500円 *手話通訳あり。車イスでも入場できます。 お手伝いが必要な場合はスタッフに声をおかけください。 ゲスト: 著名人多数!お楽しみに!! アルパ(ラテンハープ)奏者(女子高生・プロ)の演奏もあります。 主 催: 都民のハートに火をつける3・9イベント実行委員会 【お願い】 ◎「わたしの一言マニフェスト」を募集いたします 『2・25浅野さんのハートに火をつける会』のときに、会場にお持ちいただいたり、皆様に書いていただきました「わたしの一言マニフェスト」。今回は、ブログあてにお送りいただくかたちで、再度、東京のここが問題、こうしたい、政策案などの「わたしの一言マニフェスト」を募集させていただきます。 前回、未消化分とあわせて、内容のバランスを考慮の上、会場で発表させていただきたいと思います。 ◎「勝手連・ポスター・コンテスト」 マッド・アマノさんがいきなり作ってくださったポスター。素敵な「勝手連・ポスター」をありがとうございました。 みなさまの作った勝手連・ポスターも大歓迎です。マッド・アマノさんにご講評いただき、優秀作品はブログに発表。みなさまに、ダウンロードして貼っていただけるようにさせていただきたいと思います。 マニフェスト、ポスターともにasano46@gmail.comまでどんどんお寄せください。
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